Fujisan's Kyareng

Tuesday, May 25, 2021

中国のチベットに付いての白書を強く拒否します!

中国の白書を拒否: 17か条協定 - 中国が何を公約し、何が果たされたのか、そして将来は?

東チベットのカムの都チャムドが中華人民共和国(PRC)に占領された後の1951年5月23日、チベットは、17か条の「チベットの平和的解放に関する協定」にサインすることを余儀なくされました。占領軍は、「協定へのサインか若しくは、チベットの他地域に対する即時的軍事作戦の展開か」の二者択一を迫りました。

(写真) チベット亡命政権情報・国際関係省 チベット博物館

https://www.tibethouse.jp/news_release/2021/20210523_news.html

 中国は、今月21日に、更に別に一つのチベットに関する白書「1951年以後のチベット:解放、開発そして繁栄」を発表しました。この白書において、「チベットの平和的解放70周年記念を機に、チベットの歴史と功績を再考し、新しい社会主義チベットの現在における真の全実態を披露するために白書を発表した。」としています。

 白書にチベットは古代から中国の一部であり、17か条協定にサインすることによって、チベットは、海外の帝国主義者から解放されたと主張し、また、過去70年間におけるチベットの地域自治、民主主義、発展、宗教的そして文化的自由について公言しています。これは、国際社会を誤解させ、そして歴史的事実を曲解させる、更に別に一つの中国によるプロパガンダなのです。 

 2021年5月23日、チベットと中国の間で論争を巻き起こした17か条協定から70周年の節目を迎えます。中国は、チベットと祖国の統一を誇る声明を、大々的に発表することが予想されます。17か条協定の各内容について見直しを行い、中国に対しては協定を勝利したと捉えて祝うのではなく、チベット問題を解決に導くために協定について改めて考察するよう求めましょう。

 17か条協定は、チベット独立の歴史の重要な転換点におけるチベット・中国関係の真実を明らかにする重要な根拠となる歴史的文書です。チベット政府は、中国共産党から協定へのサインを強要されましたが、その一方で、このことはチベットが協定以前において決して中国の一部ではなかったという事実を示す重要な証拠でもあります。

歴史的な視点から、1949年以前におけるどの時代においても、チベットが中国の一部であったことは一度もなかったという事実を明らかにしていくことは非常に重要です[1]。確かにモンゴル、ネパール、中国そして英国の各国軍隊がチベットに入り、チベットの歴史上のある一定の期間、宗主権を行使しました。しかしながら、こうした国々の軍は、 使節として、侵略者として、あるいは、チベット政府の要請によってチベットに入り、その任務を全うすれば去っていきました。中国が、過去におけるこうした出来事を論拠として、歴史的にチベットが中国の一部であること主張することは根拠のないことなのです。仮に中国が、チベットを中国の一部であると主張するのであれば、他国も同様な主張を繰り広げることが可能であり、そうであるとするならばチベットは、中国をチベットの一部であると主張することができるはずなのです2。このような言い争いは起こるべくして起こるものであり、世界中のほぼすべての国々の政治史において見受けられるものです。

共産中国は、様々な実質のない根拠の下、チベットを中国の一部であると主張しようとしてきました。しかしながら、大半の作為的なプロパガンダと同様に、共産中国による主張の本質は変化し続けました。当初は、7世紀、チベットのソンツェン・ガンポ王(Tib:srong btsan sgam po)の時代に、唐の文成公主(皇帝の娘)がチベットの王女の一人となって以来、チベットは中国の一部であると主張していました。その後、中国の白書において、14世紀にモンゴルの元王朝からチベットを継承し、後に、明と清朝からチベットを継承したと主張したのです。しかしながら、史実をゆがめることを目的とした、こうした欺瞞的で虚構とも言える主張は、中国の学者らによってさえ強く反駁されたのです。

  実のところ、チベットを占領して60年が経過した後でさえ、中国はチベット人を完全に打ち負かすことはできていないのです。歴史的な主張とプロパガンダにより、チベットの占領を正当化できなかった中国は今、地域の発展と「封建的農奴制からの解放」をもたらしたと繰り返し主張し始めました。

  多くの人々は、中国との17か条協定が、チベット独立の終焉を意味すると信じています。しかしながら、実のところ17か条協定こそが、チベットが独立国家であり続けていたことを証明する重要な文書なのです。また、この協定は、中国がチベット問題の打開策として、チベットの「一国二制度」に合意したという事実の証明でもあります。しかし、この協定の本質とその成果は、中国共産主義の帝国主義的色彩を鮮明にしているとも言えます。本協定は、脅迫の下でサインされたものでしたが、ダライ・ラマ法王とチベット政府は、中国の要求に対処するために最善を尽くしました。一方、中国は、チベットの領地が完全に中国人民解放軍(PLA)の支配下にあると確信したとき、協定に違反し始めたのです。これこそ共産主義政権下にある中国の手法なのです。香港や台湾はこうしたチベットの経験から学び、中国による交渉の申し入れに対して警戒すべきです。

 中国は、チベットに対して最初に17か条協定の内容を提案し、後に、協定の内容を強要しました。チベットは、最初は協定に対して異議を唱えましたが、後に受け入れようとしたところ、中国は自らが強要した協定に違反するようになったことから、チベット人は抵抗し、再び協定に対して抗議したのです。しかしながら、中国は、協定を勝ち得たものと捉えて祝賀しており、この辺りに協定の皮肉があるのです!

 さて、ダライ・ラマ法王とチベット亡命政権は、中国・チベット問題の解決を図るために、1987年に「チベットに関する5項目和平プラン」、1988年に「ストラスブール提案」そして、2008年に「真の自治に関する草案」という形で解決策を提案しています。これら3つの提案は、チベット問題の解決を図るという、チベットによるアプローチの3本柱とみなすことができます。また、この3つの柱は、17か条協定、鄧小平主席の声明、中国憲法及び中国による3つの核心的利益と多くの共通要素を共有しています。

 脅迫下であったとは言え、チベット政府が17か条協定にサインしたことは、中国が待ち望んでいた、チベットを中国の一部に組み入れるための口実を与えることとなりました。ダライ・ラマ法王は、1959年4月、インドのテズプルにおいて公式に協定について異議を唱えたところ、国際社会が協定に関して真実を知ることとなり、中国はチベットを

占領する正当性を失ったのです。従って、国際法の観点からも、中国がチベットを占領したことは違法です10。中国は、台頭する超大国として、そして重要な国連加盟国として、チベットの権利に対する道徳的、国際的な正当性を得るため、この歴史的な失態を是正する必要があります。中国は、脅迫や残忍な占領を通じて、17か条協定に記されたすべての事項を成し遂げました。チベット問題の解決に向けて真剣に取り組んでいるのであれば、チベットに与えると合意しながらも、中国が、決して履行しなかった内容を誠実に思案する必要があります。

 協定第3条:「チベット人民は、中央人民政府の統一された指導の下、民族地域自治を実施する権利を有する。」

 協定第4条:「中央当局は、現行のチベット政治制度に変更を加えない。中央当局はまた、ダライ・ラマの確立された地位、職権、権力にも変更を加えない。各級官吏は、これまでどおりの職に就く。」

 協定第7条:「チベット人民の宗教的信仰、民族風習及び習慣を保護すると共に、僧院は保護する。」

 協定第11条:「チベット地方政府は、自ら進んで改革を進め、人民が改革を求めた場合、チベットの指導者との協議により解決する。」

中国がチベットに約束したこれらの4項目は、いまだ履行されていないばかりか、中国は協定に違反しているのです。

2008年に中国の指導者らに対して提案がなされた「真の自治に関する草案」は、このような歴史的文脈を考慮して研究されるべきです。この草案が、中国の3つの核心的利益からどの程度逸脱しているのか。さらに重要なことは、草案が、中国憲法の範囲内に含まれるのか、あるいはどの程度逸脱しているのかという視点で研究されるべきです。こうした研究は、チベットと中国が相互に受け入れ可能な合意に達するための協議を進捗させ、交渉のための共通基盤となるものです。

 共産中国にとって大変残念なことに、1951年の17か条協定は、中国による侵略以前において、チベットが独立国家であったことを証明する重要な文書であり続けています。しかしながら、チベット人民は、現中国からの分離を模索しているわけではなく、ダライ・ラマ法王やチベット亡命政権による中道のアプローチに基づいて、この協定が問題解決のための共通基盤を見出すのに重要な役割を果たすことも可能なのです。また、チベット及び中国の3つの核心的利益は、チベット問題の解

決策を見出すことができる、合意可能な条件範囲(ZOPA)となり得るものです。中国指導部による、合意可能な条件範囲(ZOPA)の領域を思案する強い意志と誠実な努力は、17か条協定を通じて目論まれた道義に反する勝利を繰り返し訴えるより、はるかに相互にとって有益でしょう。

5月23日は、中国指導部が、チベット人民に対して何を約束し、何が真に果たされたのか、さらに、チベット問題の解決を図るための共通基盤を見出すためにどのように役立つのかを顧みて見つめなおす日であるべきなのです。

国際的情勢において、この協定こそ中国が約定をどのように見ているかを示す生きた証拠と言えます。 1954年、中国は、インドとの間に「パンシール協定(平和5原則)」にサインし、平和的共存と相互不侵略について合意しましたが、1962年に中国は、インドを攻撃しました。わずか数年前となる2017年に中国は、ドクラム事件を通じて、インドとブータンの領土に侵入しました。また、昨年中国は、インド領であるラダクに対する違法な侵略を行っています。

中国と英国政府は、1984年に共同宣言を出し、1997年の中国への主権移譲後、香港の高度な自治について合意したのです。共同宣言の第3条には、香港が保有するはずの特権について詳述されています。しかしながら、昨年、香港で何が起こったのかは皆さんご承知のとおりですし、香港の現状はどうでしょうか。

17か条協定は、ちょうど70年前にチベットで起こったことです。昨日のチベットは、今日の香港であり、チベットや香港をこのまま問題にすることなく成り行きに任せておけば、まもなく台湾、フィリピンそして尖閣諸島なども同じ道をたどることになるでしょう!

(翻訳:仁恕

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[1] T.G.Arya, https://tibet.net/2019/03/tibet-has-never-been-a-part-of-china-anywhere-in-its-pre-1949-history/

In 763 AD, the Tibetan army of King KhrisrongDeutsan captured the Chinese capital Ch’ang-an, the Chinese Emperor fled with his family and a large following. TseponShakabpa, Tibet – A political history, p-39

White paper 1992: Tibet – its ownership and human rights situationhttp://www.china-un.org/eng/gyzg/xizang/t418894.htm

(1) Prof Hon Shing Lau, The Political Status of Tibet during Ming Dynasty: An analysis of some historical evidence, City University of Hong Kong, (2)Chinese Voices for Tibet, DIIR,( a) Cao Changqing, Independence – the right of Tibetan people, p-80; (b) Chen Pokong, Has Tibet belong to China since ancient times?, p-164; (c) Zhu Rui, Tibet has not been a part of China since ancient times, p-193

Tang Huiyun, “Why are people in Hong Kong are concerned about the Tibetan problem?”, p-61, Chinese Voices for Tibet, DIIR

The point 3rd, 4th, 7th and 11th of the Agreement

“Everything is negotiable except the independence of Tibet” – Deng Xiaoping

Article-4, “Regional autonomy is practiced in areas where people of minority nationalities live in compact communities…….” and Article-2,4 and 11 of Law of the PRC on Regional National Autonomy

Facts about the 17-point agreement between Tibet and China, p-137, DIIR, 2001

10The Legal Status of Tibet – Three Studies by Leading Jurists, p-93, DIIR, 1989

Monday, May 24, 2021

仏教とカーラチャクラの教えについて

 仏教とカーラチャクラの教えについて

 

カーラチャクラ尊、Mandala 

 誰もが知っている通り、あらゆる生き物は、小さな虫でも、幸せを願い苦しみを避けたいと思っています。本当の幸せを見つける道のりの中で、私たちは何度も苦しみに直面します。ブッダは、苦しみの原因についてよく考えることで、これを避け、根絶し、永遠の幸せである涅槃と悟りを得るように、と説かれました。

仏教の因果と相互依存の法則によれば、現在の私たちのありようは過去のカルマ(業)によるものであり、来世でどうなるかは今生で何をするかにかかっています。悪業と、迷妄から来る私たちの行いは、苦しみの原因となっています。ですから、私たちの迷妄を引き起こす無知や執着、奢り、怒り、嫉妬が、苦しみの主な原因なのです。

 ブッダは、この迷妄に打ち克ち、悟りという形で究極の平和を得る方法を説かれました。実践には、自己鍛錬、瞑想による集中、空を理解する智慧という、3つの高レベルの修練を積むことが含まれます。仏陀の教えは、大きくわけて小乗(ヒナヤーナ)と大乗(マハーヤーナ)という2つの乗り物から解釈し、実践し、理解することができます。

 小さな乗り物である小乗仏教は、上座部仏教(テーラワーダ)です。小乗の修行者は、迷妄を克服し、空の本質への洞察を得るために実践をし、自分自身が涅槃へ到達しようとします。

 大きな乗り物である大乗仏教は、さらに波羅蜜乗(パーラミターヤーナ)と金剛乗(ヴァジュラヤーナ)に分けられます。波羅蜜乗においては、修行者は小乗の実践に加え、菩提心を育み、一切衆生を救うために悟りを得ようとします。

 金剛乗、あるいはタントラ仏教は、仏教における密教です。スートラの実践に加え、タントラの実践をともないます。智慧によって深遠な空を理解する点は、波羅蜜乗も金剛乗も同じですが、その方法に違いがあります。金剛乗の方法では、自身を本尊の形ある身体(色身)と同様の側面を持つと観想する、本尊ヨーガの実践を含みます。この実践は所作、行、ヨーガ、無上ヨーガの4つに分類されます。

 カーラチャクラの教えは最高レベルのヨーガタントラである無上ヨーガに属し、カーラチャクラ尊ヴィシュヴァマータを観想します。ブッダはカーラチャクラタントラの教えを、神秘の国シャンバラの初代王(カルキ)スチャンドラの要請によって、南インドのシュリー・ダーニャカタカで説かれました。その教えはシャンバラで興隆し、インドへ戻り、10世紀頃、チベットだけに伝わりました。ド・ロツァワやプトゥン・リンチェン・ドゥプの時代からツォンカパの時代まで、カーラチャクラ灌頂は、チベット人導師から次の導師へと受け継がれ、今日、ダライ・ラマ法王はその後継者として、私たちに教えを授けてくださいます。

 タントラは通常、少数の熟練した修行者にだけ伝えられる神聖な秘密の教えです。カーラチャクラの教えは最高のヨーガタントラの一つですが、あらゆる精神レベルの一般大衆に授けられます。ダライ・ラマ法王はこうおっしゃいます。

 「確かに、参加者のすべてが、灌頂の完全な恩恵を受けるのに十分な内面的基礎ができているわけではありません。しかし、積極的に参加すれば誰でも、良いカルマを積む心を作り、強めることができるはずです。」

 カーラチャクラに参加し、教えを受けることの功徳は、精神的理解力と動機のレベルに応じて個人差があるといわれています。熟練した修行者にとっては、タントラを実践するための完全なイニシエーションを受けるチャンスとなります。実践を良く理解している者には、理解を再確認し、活性化させる良い機会となります。教えについてよく知らない人には、教えを受け、実践するというカルマの種を与えます。

 いずれの場合も、教えを受けるための最も重要な条件は、一切衆生の役に立とうとする、参加者の利他的な動機です。ですから、教えを受ける動機の背景は、とても純粋で高潔なものでなければなりません。世界平和のために重要なことは、純粋に利他的な動機に駆り立てられた群衆から生まれる力と祝福が影響を与え、戦争や暴力のない平和な世界をつくる力や環境を生むということです。

 カーラチャクラの講義に参加することで、参加者は神秘の国シャンバラに生まれ変わって教えの実践を続けられるよう、祈り、カルマの種をまくことにもなります。

 作文:ツェワン・ギャルポ・アリヤ。和訳:熊谷惠雲

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 カーラチャクラ曼荼羅:カーラチャクラの教えは最高(密教)レベルのヨーガタントラである無上ヨーガに属し、カーラチャクラ尊ヴィシュヴァマータとその曼荼羅を観想します。真ん中はカーラチャクラ尊(ヤブ・ユム)と仏の宮殿です。上左からの本尊は:カーラチャクラ尊、ヤマンタカ、持金剛仏、チャクラサムバラ、グヒヤサマージャ。下の左から:チョーギャル、ナムセ、リグデン・ギャルポ。ブッダはカーラチャクラタントラの教えを、神秘の国シャンバラの初代王(カルキ)スチャンドラの要請によって、南インドのシュリー・ダーニャカタカで説かれました。その教えはシャンバラで興隆し、インドへ戻り、10世紀頃、チベットだけに伝わりました。ド・ロツァワやプトゥン・リンチェン・ドゥプの時代からツォンカパの時代まで、カーラチャクラ灌頂は、チベット人導師から次の導師へと受け継がれ、今日、ダライ・ラマ法王はその後継者として、私たちに教えを授けてくださいます。

 

China's white paper on Tibet all lies!

 China's white paper: 

70 Years of repression in Tibet since the 17-Point Agreement


Photo Graphic: Deng Zijun/ Global Times

https://tibet.net/chinas-white-paper-70-years-of-repression-in-tibet-since-the-17-point-agreement/

China has, on May 21, published yet another White Paper on Tibet, "Tibet Since 1951: Liberation, Development and Prosperity"[1]. It says, "On the occasion of the 70th anniversary of Tibet's peaceful liberation, we are publishing this white paper to review Tibet's history and achievements, and present a true and panoramic picture of the new socialist Tibet."

It has claimed Tibet as being part of China since ancient times, and how through the signing of the 17-Point Agreement, Tibet was liberated from foreign imperialists and feudal theocratic serfdom. It has claimed regional autonomy, democracy, development, and religious and cultural freedom for all these 70 years. This is yet another blatant Chinese propaganda to mislead the international community and distort the historical reality.

May 23, 2021, marks the 70th anniversary of the controversial 17-Point Agreement between Tibet and China. It was expected that China would once again flaunt this document to brag about the unification of Tibet with the motherland. But this time, they came with a white paper on the Agreement. Chinese claims are nothing new; these claims were well rebutted in the DIIR's publications, "Tibet was never a part of China,  but the Middle Way Approach remains a viable solution".

This time China's white paper greatly relied on the 17-Point Agreement to justify its occupation of Tibet. So, let us review the Agreement and see if China's claims are justified or not. We also request the CCP leadership to look at this forced Agreement more to resolve the Tibet issue rather than celebrate it as a victory.

The 17-Point Agreement is a very important valid historical document that reveals the real nature of Sino-Tibetan relations at that crucial turning point of the Tibetan history of independence. Although forced upon the Tibetan government by communist China, it remains as an important testimony to the fact that Tibet was never a part of China before the Agreement.

From the historical perspective, it is very important to assert here that Tibet has never been a part of China anywhere in its pre-1949 history[2]. Yes, the Mongolian, Nepalese, Chinese, and British army did enter Tibet and exercised suzerainty over Tibet at a certain period of Tibetan history. But they came as foreign entities, as invaders or at the request of the Tibetan government, and they left when their missions were accomplished. China cannot claim Tibet because of these historical skirmish incidents. If they did, others could also do the same, for that matter; even Tibet can claim China as a part of Tibet[3]. These skirmish incidents are natural and in conformity with the political history of almost all nations around the world.

Communist China has tried to claim Tibet as a part of China under various insubstantial grounds. But like most of its concocted propaganda, the nature of the claims kept changing. First, they claimed Tibet as a part of China since the 7th century Tibetan emperor Srongtsan Gampo [Tib: Srong btsan sgampo], when the Tang Princess Wencheng Kungchu became one of the queens of Tibet. Later, the Chinese White Paper[4] claimed that they inherited Tibet from the Mongolian Yuan Dynasty in the 14th century and later from the Ming and Qing Dynasties. But these fictitious and deceptive claims intended to distort history were refuted strongly even by the Chinese scholars[5]4.

The fact is that even after the seventy years of occupation of Tibet, China has not been able to fully win or defeat the Tibetans. When all the historical claims and propaganda failed to justify their occupation of Tibet, China has now started to harp on “Liberation of Tibet from feudal serfdom” and bringing development in the region.

Many believe that the 17-Point Agreement with China was the end of Tibetan independence. No, in fact, the 17-Point Agreement is an important document to prove that Tibet has been an independent nation. The Agreement is also a testimony to the fact that China agreed for “one country, two systems” formula for Tibet. The nature and the outcome of the Agreement also reveal the real imperialistic color of Chinese communism. Although the Agreement was signed under duress, His Holiness the Dalai Lama and the Tibetan government tried their best to accommodate the Chinese demand. When China got confident that the land was fully under the control of its People Liberation Army (PLA), they began to violate the Agreement. This is how China, under the communist regime works. Hong Kong and Taiwan should learn from this Tibetan experience and be wary of Chinese overtures[6].

China first proposed and later imposed the contents of the 17-Point Agreement on the Tibetans. Tibetans refuted the Agreement at first and later tried to accommodate it, but when China violated the Agreement which they themselves imposed, Tibetans revolted and refuted it again. But China is celebrating it; herein lies the irony of the Agreement!

Now, in order to resolve the Sino-Tibetan issue, His Holiness the Dalai Lama and the Tibetan Administration in exile have proposed solutions in the form of a Five-point peace plan in 1987, Strasbourg proposal in 1988, and the Memorandum on Genuine Autonomy in 2008. These three proposals can be seen as the three-core Tibetan approach to resolve the Tibet issue. It shares many common elements with the 17-point Agreement[7], Premier Deng Xiaoping’s statement[8] and the Chinese constitution[9], the three-core Chinese approach.

The 17-Point Agreement, although signed under duress, it gave China the much-needed excuse to get into Tibet. When His Holiness the Dalai Lama refuted it on April 1959 at Tezpur in India[10], the International community came to know the truth about the Agreement and China lost the legitimacy to occupy Tibet. So, from the point of International law, China’s occupation of Tibet is illegal[11]. As a rising superpower and as an important member of the United Nations, China needs to redress this historical faux pas to gain moral and international legitimacy to its claim on Tibet. Through intimidation and brutal occupation, China has achieved all the points mentioned in the 17-Point Agreement. If China is serious about resolving the Tibet issue, it sincerely needs to brood over those points which it agreed to give to Tibet but never did, they are:

The 3rdpoint of the Agreement: “The Tibetan people have the rights to exercise national regional autonomy under the unified leadership of the Central People’s Government.”

The 4th point: “The central authorities will not alter the existing political system in Tibet. The central authorities also will not alter the established status, functions and powers of the Dalai Lama. Officials of various ranks shall hold office as usual.”

The 7th point: “The religious beliefs, customs and habits of the Tibetan people shall be respected, and lama monasteries shall be protected..”

The 11th point: “The local government of Tibet should carry out reforms of its own accord, and demands for reforms raised by the people shall be settled by means of consultation with the leading personnel of Tibet.”

These four points which China promised Tibet are still not fulfilled, rather China has violated it.

The Memorandum on Genuine Autonomy for the Tibetan people submitted to the Chinese leadership in 2008 should be studied in this context. To what extent the Memorandum has deviated from the three-core Chinese approaches. More importantly, it should be studied whether the Memorandum is within the purview of the Chinese constitution or not, if not to what extent it has digressed. These are the common grounds on which Tibet and China need to discuss and negotiate to arrive at a mutually acceptable agreement.

Much to the chagrin of communist China, the 17-Point Agreement of 1951 still remains an important document to prove that Tibet was an independent nation before the Chinese invasion. However, as the Tibetans are not seeking separation from China now, the document can play a crucial role in finding common ground based on the Middle Way Approach of His Holiness the Dalai Lama and the Tibetan Administration in exile. The three-core approaches of Tibet and China could be the Zone of Possible Agreement (ZOPA), where solution to the Tibet issue could be found. A strong will and sincere effort from the Chinese leadership to brood over the ZOPA sphere would be more mutually beneficial rather than harping on the immoral victory it contrived through the 17-Point Agreement.

23rd May should be a day for the Chinese leadership to look back and see what it promised to the Tibetans and what it really delivered, and how it still could help find a common ground to resolve the Tibet issue. Therefore, the Chinese leadership, instead of making false claims, should seriously study and reflect on its conduct to see if they have really delivered the promises it made to the Tibetans. 

In the international context, this Agreement is a living testimony to how China views the promises it makes. It also shows how the international community's silence on the violation of the Agreement emboldened the CCP leadership to go on violating the agreements it made thereafter.

A recent panel discussion organized by Geneva Tibet Bureau on the "17-Point Agreement and the 70 Years of Oppression in Tibet" by a high-level international panelists has more on this subject[12]. 

In 1954, China signed Panchsheel Agreement with India, in which peaceful co-existence and non-aggression into one another's territories were agreed upon, but in 1962 China attacked India. Just a few years ago, in 2017, China intruded India and Bhutan's territories through Doklam incident. Last year, China made illegal aggression into the Indian territories of Ladakh.

China and the British government had issued a Joint Declaration in 1984[13] in which a high degree of autonomy was agreed to Hong Kong after the takeover in 1997. Clause 3 of the Joint Declaration details the privileges that Hong Kong will have. But we have all seen last year what has happened in Hong Kong and what is the situation right now?

This is what exactly happened in Tibet 70-years ago. It was not liberation, development and prosperity as China claims; it was 70 long years of repression, deprivation, and discrimination. If China is serious about the claims it has made in the white paper, it should let the UN mission, diplomats and media to visit Tibet and confirm the situation.

Yesterday`s Tibet is today`s Hong Kong; if we let Tibet and Hong Kong go like this, it will soon be Taiwan, Spratly Island of the South China Sea, Senkaku Island, and so on!



[1] https://www.globaltimes.cn/page/202105/1224102.shtml

[3]In 763 AD, the Tibetan army of King Khrisrong Deutsan captured the Chinese capital Ch’ang-an, the Chinese Emperor fled with his family and a large following. Tsepon Shakabpa, Tibet – A political history, p-39

[4]White paper 1992: Tibet – its ownership and human rights situationhttp://www.china-un.org/eng/gyzg/xizang/t418894.htm

[5](1) Prof Hon Shing Lau, The Political Status of Tibet during Ming Dynasty: An analysis of some historical evidence, City University of Hong Kong, (2)Chinese Voices for Tibet, DIIR,( a) Cao Changqing, Independence – the right of Tibetan people, p-80; (b) Chen Pokong, Has Tibet belong to China since ancient times?, p-164; (c) Zhu Rui, Tibet has not been a part of China since ancient times, p-193

[6]Tang Huiyun, “Why are people in Hong Kong are concerned about the Tibetan problem?”, p-61, Chinese Voices for Tibet, DIIR

[7]The point 3rd, 4th, 7th and 11th of the Agreement

[8]“Everything is negotiable except the independence of Tibet” – Deng Xiaoping

[9]Article-4, “Regional autonomy is practiced in areas where people of minority nationalities live in compact communities…….” and Article-2,4 and 11 of Law of the PRC on Regional National Autonomy

[10]Facts about the 17-point agreement between Tibet and China, p-137, DIIR, 2001

[11]The Legal Status of Tibet – Three Studies by Leading Jurists, p-93, DIIR, 1989

 [12] https://www.facebook.com/watch/live/?v=931877980971080&ref=search

[13]https://www.cmab.gov.hk/en/issues/jd2.htm